正しさを求めすぎないことについて

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Sony NEX-7 + Photoshop CS5

 
育児をしながら、もやもやしていた事がありました。
それは、子どもに「いいコトとわるいコトを教えること」についてです。

親は子どもを授かってから、日々子どもに、して良いことと悪いことをコツコツと伝えていきます。
たとえば良いこととは何かというと、社会のルールやマナーそして人としてこうあるべきといったものがあります。

もちろんわたしもそれを伝えていくのは当たり前のことだと思っていたので、何の疑いもなく自分なりに身につけてきた良いことと悪いことを伝えてきました。
だけれど、それを当たり前に伝えるのと世間にはズレがあるのです。

どういうことかと言えば、正しいことを伝えてできるようになったとしても必ずしもそれが受け入れられるワケではないということです。
自分の正しいことと世間の正しいことにズレがあるのではと悩んでいたりもしていたのですが、間違えていたことに気がつきました。

世間は表面上正しいことを求めているように見えるけれども、個々人それぞれ自体は正しいことよりも、好きとか嫌いとかきゅんきゅんとか、萌えー!だとか、何かよく分らないけど惹かれる、楽しいということの方を本当は求めているということなのです。
その感情に伴って行動をしていることの方が多い。

いじめは悪いことだと分っているけれども、何かおもしろそうだとか、スッキリするという気持ちで行動をする。
不倫はいけないことだと分ってはいるけれども、好きやドキドキという感情で行動をする。

つまり、そういうことなのだと。

もやもやしていたことが、スッキリしました。

好きは好きで良いのです。
嫌いも嫌いで良いのです。
好きが正しいことで嫌いが悪いことでもなく、どちらともそれで良いのです。

嫌いだからといってそれを無理に好きにかえることは難しいですし。
大事なことは子ども自身がどう感じたかその声に耳を傾けることなのだということ。
好きも嫌いも認める。

正しいことを求めるよりも、まずどう感じたか日々気持ちを聞いてやることの方がずっと大切なんだとやっと気がつきました。
だからと言って、いじめや不倫をして良いワケではないんですけどね。(子どもに不倫はないですが。)

 

by @gurizou | 12.4.2014 | Category: 秋のこと | Tags: